山中教授ノーベル賞受賞に湧く

京都大学のips細胞研究所の山中教授がノーベル賞を受賞したとの知らせでもちきりです。細胞を初期化してあらたな組織をつくるということで、再生医療など難病に苦しむ人たちに現実的な希望を与えてくれた研究成果といいます。生命の芽生えである受精卵を用いなかったところが、教授らしいとしんぶん赤旗潮流が紹介していました。
 それにしても、2度もの挫折を乗り越えたこれまでの人生がすごい。
外科医として向いていなかったため「じゃま中君」と言われ挫折。
基礎科学に転向して、アメリカで研究活動。恵まれていたといいます。
帰ってきたが、日本の貧しい研究環境がまっていた。白い巨塔の世界が残るのか、実験用のネズミの世話に明け暮れ、とうとううつに・・・。
そして、別の道をもとめて、新しい大学に挑戦し、職を得ることができ、今日のつながっているとか。
多くの人が、「日本の誇り」「日本の底力」を世界に示したと街頭インタビューで祝福の言葉をかけていました。
しかし、山中教授の研究人生がしめしているものは、才能豊かな逸材をもう少しで、埋もれさすところだったということです。
日本の学問の府は、誰でも自由な研究が保障されているのか。
あらためて考えさせられました。
研究の分野だけでなく、何度でも起き上るチャンスがある社会なのか、問いかけている気がします。