核保有をもとめる政治家の資質を問う

3月ノルウエーのオスロで、核兵器の使用は人道的に許されないと核兵器廃絶をもとめる国際会議が開かれました。
広島・長崎の原爆投下から68年。ヒバクシャはあの日、人として死ぬことも許されないむごい最期を余儀なくされました。そして生き残った人も放射能により白血病やガンなどで苦しみ続け、未だに原爆症にさいなまれているのです。
ヒロシマナガサキの悲劇を二度と繰り返してはならないという、まさに人道的見地から、核兵器をこの地球からなくそうと国際的な大きなうねりが生まれています。
そういう中で、今月の8日、衆院予算委員会で、比例中国の維新の会の中丸議員が、核兵器のシミュレーションや軍事拡充について質問しました。核兵器を容認せよと政府に迫るものです。
被爆2世だというのに、核兵器がどんな兵器か理解しているのでしょうか。また、核兵器を持てば、怖いものはないと思っているのでしょうか。
 被爆国日本は、昨年の国連軍縮会議で、非合法化をもとめる署名へのサインを拒否しました。国際的に、核の傘にしがみついた核廃絶に後ろ向きな国という評価をされています。この被爆国政府に核兵器の容認をせまることは、ヒバクシャを冒涜するものであり、政治家としての資質を疑わざるを得ません。こうした道を歩めば、国際的に信頼を失墜させるでしょう。
 一方、核保有の根拠として、中国や北朝鮮の脅威を強調しました。中国の軍拡、尖閣問題、北朝鮮核兵器やミサイル問題は、北東アジアの平和を脅かす許されざる動きです。しかし、これに対して軍事力こそ解決手段だという言うのは、アジアで2000万人に犠牲をしいて、68年前に決別した過去の遺物です。
 日本は、現在の平和憲法のもとで軍事力に寄らない外交関係を構築してきました。過去の忌まわしい記憶を葬り去り、再び力の政策を選択しようというのでしょうか。