争点は、「ねじれ解消か?」

日曜日投開票の参議院選挙が終わった。
昨日の新聞は、先の衆銀選挙に続いて、民主党が激減し自公政権が圧倒的な議席を得て、参議院での野党との「ねじれが解消した」と報じる。テレビでも「ねじれ解消をどう思うか」とインタビューしていたが、それがどう国民生活に係るのか中身の問題を明らかにせずに、聞かれても困惑するだけだ。

「ねじれ解消」が、今回の選挙の本当の争点だったのか?
憲法改正・消費増税原発再稼働・TPP協議参加など、日本のかかえる難題にどう取り組んでいくのか、正面から堂々と論じられたのだろうか。
 投票日の夜、関口宏氏が司会をした民放の選挙開票番組で、自民党改憲草案をわかりやすく解説した。憲法を国家権力を縛るものから、国民を縛るものへと変えるという立憲主義の否定という本質を突いた内容だった。社会保障は、家族の扶養義務を強化し、公的責任を放棄する、「公の秩序を守る」といって政府の方針に反する行動は、権利も自由も制限されるなど具体的に示した。
「個人の人権の上に国家を置くのか」と質問された石破幹事長は、「国民の権利・自由を奪うのは、外敵。国家はそれを守る役割果たす」と答えた。国家権力の乱用の問題を聞いているのに、もっぱら領土問題など外的要因に目を向けさせようとする。外敵を口実に、個人よりも国家を上に置く戦前の「国家主義」の復活かと背筋が寒くなった。
 投票日直前、ネットで4月のBS放送で「国防軍の命令に背けば、軍法会議にかけられ、死刑か懲役300年」という石破幹事長のコメントが流れた。結局、9条をかえて集団的自衛権を認める「普通の国」になるということは、「国家」を国民の上に置き、基本的人権が脅かされるということじゃないのか。

石破幹事長は、前からこの憲法改正草案を国民にしめしていると平然といいのけた。
この番組を見て驚いたという声が私にも寄せられたが、圧倒的な国民は知らされていない。
憲法9条について、世論が二分されている中で、国会の勢力図は圧倒的に改憲派が占めている。
やはり、ねじれているのは、国民の民意と国会の議席だ。自民党の狙う憲法改正に、白紙委任したわけではない。
選挙が終わり、ぼちぼち、これからの安倍政権の課題だと憲法改正や消費増税などの問題を報道する。
残念なことにマスコミは、選挙が終わらないと本当の「ねじれ」を報道しないとつくづく思い知らされる。
今回の選挙で、日本共産党が、得票を増やし議席を伸ばした。党首討論もできる、議案提案権も得た。
まだまだ、国会の中では少数勢力だが、国会の外では、多数である国民的な運動と結びついて、憲法改悪を許さない大きな力を発揮させたい。