被災地郡山市、放射能とのたたかい

昨日は、中核市の広報紙コンクールで、優秀賞をとる郡山市議会を訪問し、意見交換しました。
震災で古い庁舎は、壊れ修繕の最中でした。半数の世帯が、被災しました。何より原発から60?qの位置にあり、直後は、8マイクシーベルトの線量がありました。幼い子ども連れは、県外へ避難し、30万の人口も一万人くらい減ったといいます。住民票をおいて避難している人もいるので、もっと減少しているのではともらしておられました。
フル―ツ王国ですから、いつもなら、駅に桃やブドウが並ぶのに、見当たらなかったのは、放射能の影響からでしょうか。
地震からの復旧は、目にみえますが、除洗など放射能とのたたかいは、いつまで続くのか、先が見えない原発事故の深刻さを痛感。
さて、広報紙については、何をどのように知らせるのかというのは、どこでも試行錯誤してきた共通の課題だと改めて認識しました。今日は、名古屋市議会です。
なにやら、河村市長率いる減税日本の議員の不祥事で、取り込み中のようです。どんなことになりますか。