シュモ―ハウスのことが、赤旗にのりました。


4日、大西衆院候補と地域訪問をしてシュモ―ハウスに立ち寄りました。
「シュモ―ハウスの会」のボランティアさんから、話をお聞きしました。その中で、開所式に来られたシュモ―さんの息子さんは、自費で来日され、寄付もして帰られたとのことでした。

11/3付 赤旗の「潮流」にシュモ―ハウスのことがのりました。

「失われた山脈は みなかみに雪をかづいて眠る/……/妻よ 今宵(こよい)もまた冬物のしたくを嘆くか」。峠三吉の『原爆詩集』から、「河のある風景」の一部です▼部屋の窓からの眺めに想をえて詠んだ詩、といいます。広島市営平和アパート3号棟4階。峠の、1950年から53年までの住みかです。敷地内に、詩碑がたちます▼平和アパートは、被爆からの復興のしるしです。築64年。建て替えを計画している市に対し、広島県文化団体連絡会議が求めています。峠のいた部屋の保存を。詩碑を川の土手に移してほしい、と▼「シュモーハウス」も、広島の象徴です。アメリカ人、フロイド・シュモーが建てた平屋の民家です。アメリカの原爆投下に憤った彼は、決意します。「罪を償いたい」。1949年に来日し、原爆で家をなくした人々を助けました▼20軒建てた民家は、古びて次々壊され、保存の決まった最後の1軒が、今月から市民に公開されています。シュモーはクエーカー教徒。アメリカ・フレンズ奉仕委員会の一人でした。委員会と日本の縁は深く、原水爆禁止世界大会に毎年のようにくるジョセフ・ガーソンさんも、そこの活動家です▼ガーソンさんはいいます。「憲法9条のもとで、日本は本当の意味で自立した国になってほしい」。憲法公布から66年の今日、峠の「河のある風景」は9条の原点をよびさまします。「眼を閉じて腕をひらけば 河岸の風の中に/白骨を地ならした此(こ)の都市の上に/おれたちも/生きた 墓標」