被爆者の誓い「戦争法案は許してはいけない!」

昨日は、70年目の長崎原爆の日
「広島長崎の悲劇を繰り返してはいけない」
これは、侵略戦争の反省とともに憲法9条に込められた誓いであり、戦後日本の原点です。

今、この憲法をなきものにして、海外で戦争する国へつきすすもうととしています。
平和式典で、安倍首相を前に、長崎市長は懸念を表明し、被爆者は反対の声をあげました。
それに対して、参列者からの大きな拍手が、しばらくやみませんでした。

安倍首相は、広島で削除した「非核3原則の堅持」をあいさつに入れました。
しかし、「核兵器も弾薬だから運べる」とした戦争法案を推し進める安倍首相の口から
核兵器のない世界をめざす」と言われても、空虚な言葉はこころに響きません。


被爆者の谷口さんは、原爆で焼かれひん死の重傷を負いました。
人の半分という肺活量でありながら、ふりしぼるように言葉をつづけて平和の誓いを訴えました。

昨夜はNHK特集で、原爆体験手記を残した長崎・山里小学校児童のその後を取材しました。
80歳を超えて、語り部活動も思うようにできないと悔しそうな表情をされた女性。
原爆がどれだけ体だけでなく心にも深い傷跡を残したか、最後に語りたいと初めて取材に応じた男性。

6日には、同じくNHK特集であのきのこ雲の下で何が起きていたのか、現代の技術や知見をもって
原爆投下直後の惨状を明らかにしました。12・13歳の死亡者数が多かったというグラフが示されました。
建物疎開勤労奉仕先に動員された学徒の犠牲が多かった広島の特徴を物語っています。

国連のパン事務総長もオーストリアクレメント大使も、被爆者の証言を聞いて、きのこ雲の下の実相に触れて、核兵器廃絶を誓ったと述べています。
谷口さんは、「死の淵をさまよいながら、死体の山から逃れた戦争と原爆被害の生き証人」と自らを表現しました。
70年間、被爆者が積み上げてきた平和への思いを根底から覆す戦争法案は、許すことはできないと渾身の訴えでした。

この命がけの訴えは、被爆地に生きる私たちの心にしっかりと刻みこまれました。
全国の平和を願う多くの人々に伝わったでしょう。

この声に耳をかさない人に、被爆国首相の資格はありません。