ヒロシマ”オリンピック”を考える

今日は、市議会の全員協議会でオリンピック問題の質疑がおこなわれました。
あいにく私は、傍聴できませんでしたが、事務所のメンバーが2名参加し報告してもらいました。

先月28日開催の基本計画が発表された全員協議会は、傍聴し分厚い資料ももらいました。
当初、私なりの疑問点について3点、街頭でも話してきました。

①4000億の節約事業費・広島市の負担は52億円で、果たして世界最高のアスリートが集うオリンピックが可能なのか
②1000億円にのぼる寄付金や400億の仮設施設の売却など、収入の見通しは現実的なのか
③12月に立候補について決めるというが、この短期間に市民の合意が得られるのか


この間、私も市議団に行ってオリンピックについて勉強しました。

オリンピック・ムーブメント(Olympic Movement)は、オリンピック憲章に基づき、スポーツを通じて、友情、連帯、フェアプレーの精神を培い相互に理解し合うことにより世界の人々が手をつなぎ、世界平和を目指す運動といいます。
現実のオリンピックには、商業主義や肥大化などの課題があるとはいえ、多くの人が賛同する理念です。


確かに被爆ヒロシマでの開催は、「核兵器廃絶」を大いに世界に発信することができるでしょう。
これに対して「政治利用ではないか」という意見がありますが、
核兵器廃絶は人類史的課題ですから、狭義の“政治”問題を超えた課題であると思います。
これまでオリンピックも、民族紛争や環境問題、男女差別問題にかかわってきました。

しかし、平和の祭典となるのもあくまでオリンピックが「スポーツの祭典」であることを忘れてはいけません。
ましてや「核兵器廃絶2020年」平和市長会議が前面にでることで、スポーツを通して世界中の人が手をつなぐオリンピックに妨げにならないのかという危惧が生じます。


ヒロシマオリンピックはスポーツの祭典であることが第1義的目的になっているかという根本問題が、そこにあるのではないでしょうか。

オリンピックムムーブメントは、スポーツフォーオ―ル(みんなのスポーツ)の実現をめざしており、広島市の姿勢が明確にされる必要がありますが、核廃絶に隠れて見えてきません。
選手本位のオリンピックへと発展しようという中で、競技団体の意見を聞いたのかということが問われています。
世界最高のスポーツの祭典を被爆ヒロシマで開催するという市長の夢は、スポーツ関係者や市民との合意が得られ、下からのムーブメントに支えられないと実現できません。



素人目にも、世界中からそのエンタ―ティメントとを見ようと訪れる観客の移動手段と宿泊先も不十分です。
また、この事業費で競技団体の厳しい審査にたえれるかという施設整備面での疑問が、ぬぐえません。
もし、こうした計画が大幅に修正され、莫大な財政支出を伴うものとなれば、雇用も福祉も壊されてきた市民生活の中で、オリンピックどころではないと怒りの声が、噴出するのは間違いありません。