孝行したいときに親はなし。

今日は、知人のお母さんが亡くなり、お通夜に参列。
宝塚歌劇が好きな明るく包容力のある母だったと弔辞で語られた。
一人暮らしのお母さんがなくなっていたと彼は、東京主張中、聞かされたという。さぞ、突然で驚き、悔やまれたことだろう。
74歳というから、まだまだ早すぎる。
かくいうわが父78歳、母72歳。
明日は、熱が出て保育園を休んでいる孫娘のりおんちゃんの子守りにやってくる。
わが子も保育園時代、熱を出しては、子守りに来てもらった。
ちょうど大河ドラマ毛利元就をやっていて、その衣装などが展示された催しがあった。
家で子守りをしてもらっていたとばかり思っていた私は、子どもが毛利元就を見に行ったとうれしそうに話すのでその外出を知った。
じっと家におれない父であった。
孫の守りのできない私の代わり、遠く美土里町からお出ましねがう。
ひ孫の守りまでできるとは思わなかったと嬉しそうに話す父母に頭が上がらない。
「孝行したいときに親は無し」
こんなふうに悔やみたくないと思いながら、また、甘えてばかりいる。