いじめ問題、心が痛みます

大津では、教育長が襲われる事件になり、混乱が続いています。
広島でも、いじめたとされる中学生が逮捕されるという事態に、ショックを受けました。
「いじめ」は、加害者も被害者も認めないのが、その最大の特徴といいます。
そのため、先生も保護者も対応しにくいということはあるでしょう。
荒れて、ケンカが絶えない学校もあったでしょう。
しかし、一方的な暴力的、心理的に相手を傷つける行為は、誰かが気づくはずです。少なくない生徒は気づいていたといいます。
それを、いじめと認識できない感覚の鈍麻は、どこからくるのでしょうか。
どこでも、「いじめがある」という報告が、なされていなかったといいます。
校長や先生が、上からの評価を恐れていたということはないでしょうか。
先生たちが、生徒の問題を語り合える関係だったのでしょうか。

いじめていた子は、単なる加害者なのでしょうか。
ダブルワークで生活に追われる、あるいは、受験競争にかりたてる家庭が少なくないといいます。欠乏感をいだいた子どもたちは、中学生にもなれば、これ以上、管理と競争にしばられることに反発もします。
大人が、押さえつければつけるほど、弱い子どもたちに矛先が向いてしまうことは、十分想像がつきます。
加害者の子に自分の過ちをきづかせるのは、警察ではなく、学校の役割だと思うのです。

全障研大会で茂木俊彦先生の講演でいわれた「子どもと向き合う」「子どもに学ぶ」ことの大切さを障害の有無にかかわらず、今、一度問い直す時ではないでしょうか。
「普通学校、普通学級こそ、変えていかなくてはいけない」という指摘を重く受け止めました。