「いなくていい人はいない」

「いなくていい人はいない」
今朝のしんぶん赤旗の主張のタイトルです。

相模原市の障害者施設で起きた殺傷事件は、衝撃が大きく、しばらく語るべき言葉も見つかりませんでした。

障害のある人達は、どのような思いでいるでしょうか。
早速、家族や関係者の団体が障害のある人たちへメッセージを出しています。

全国手をつなぐ育成会連合会

「障害のある人もない人も、私たちは一人ひとりが大切な存在です。障害があるからといって誰かに傷つけられたりすることは、あってはなりません。もし誰かが「障害者はいなくなればいい」なんて言っても、私たち家族は全力でみなさんのことを守ります。ですから、安心して、堂々と生きてください。」



市民に向けて声明も出しています。

「抵抗できない知的障害のある人を狙った計画的かつ凶悪残忍な犯行であり、到底許すことはできません」
「障害のある人はどんな障害があっても一人ひとりの命を大切に、懸命に生きています。家族はその歩みを支え、見守っています」
「事件で無残にも奪われた一つひとつの命は、かけがえない存在でした」として、「障害のあるなしで特別視されることなく、お互いに人格と個性を尊重しながら共生する社会づくりに向けてともに歩」むことを市民に求めています。

私も同じ気持ちです。

なぜ、これほどまで多くの障害者が犠牲になったのでしょうか。
防犯のあり方が議論されていますが、否定はしないけれど、それよりももっと社会が克服しなくてはならない重大な問題が横たわっている気がしてなりません。


加害者がこの施設の元職員であり、大麻など薬物中毒だったことに加えて、衆議院議長へ「障害者殺害計画の手紙」を送っていたことなどが、明らかになりました。

単に、薬物中毒が引き起こした異常行動としてかたづけられないのではないでしょうか。



昨夜のNHkニュース9でも紹介していましたが、容疑者は、「重い障害者は、生きている価値がない」という「優生思想」の持ち主で、「国や世界のために殺したほうがいい」と日ごろから口にしていたといいます。
あのナチスヒトラーが実行した障害者安楽死計画の思想的な背景に「優生思想」がありました。


昨年見たヒトラーの障害者安楽死計画が、ユダヤ人のホロコーストの試行だったという番組を思い起こし、私は背筋が寒くなりました。

「税金の無駄」と言っているようです

医師が、難病や精神・知的障害者などに対して、治らないという診断を下せば、ガス室に送られ安楽死させることができるというものです。


全盲全ろうの福島智東大教授が、今回の事件を「人間の肉体」と「人間の尊厳」の二重の殺人だと呼んで、現代によみがえる「優生思想」に警告を発しています。
http://mainichi.jp/articles/20160728/k00/00e/040/221000c

序列化されて、強いもの勝ったものが優先という競争社会の中で、目先の生産性や効率性を人間の価値と取り違え、個人の尊厳の否定に結びついているという指摘には同感です。
誤った人間観を克服していかなくてはなりません。

さらに、今回の事件を「ヘイトクライム」と指摘する声もありました。
格差の拡大と貧困の深刻化の中で、鬱積した不安や不満のはけ口が「ヘイト」にみられるように、弱者や少数派を攻撃することにつながっています。

「ヘイト」は許さないという確固たる態度が求められています。



最後に、政治にも大いに責任があると思います。

「人は生まれながらにして、個人として尊重される」

「人権を守るために国家があるのであり、その逆ではない」

今この「天賦人権論」を否定する政治家が、政権の中枢にたくさんいます。

自民党改憲草案では、基本的人権の97条が丸ごと削除です。


片山さつき自民党参議院議員「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めようというのが私たちの基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるかを皆が考えるような前文にしました! 」


この容疑者は、議長にあてた手紙で2か所も安倍首相に自分の障害者安楽死計画を伝えてほしいと書いています。首相が、障害者の人権じゅうりんを許さないとメッセージを出すべきではないでしょうか。

もちろん、自民党改憲草案は撤回するべきですね!