韓国加害の歴史と民主化運動を学ぶ旅へ

6月議会を終えて、翌朝の飛行機で福岡から一路、仁川空港へ向かいました。
労働者学習協議会という働く人を対象にした学習団体の主催で、2泊3日の韓国スタディツアーに参加するためです。
北朝鮮のミサイル問題などがあるためか日本からの飛行機は、空席が目立ちました。
さて、10数年前、韓流ブームの頃、家族と観光目的でソウルにきたことがあります。
当時も車の多さに驚きましたが、あの時と比べてバス路線がずいぶん増えているように感じました。


朴元大統領の罷免を求める200万人の市民で埋め尽くされた光化門広場。
奥に見えるのが、青瓦台、手前に李舜臣将軍や世宗大王銅像があります。
朴大統領を弾劾し、文大統領を誕生させた「ろうそく革命」の舞台は、のんびり休日を楽しむ市民の姿が見えました。
まだ、この運動の先頭に立ったセオウル号の遺族のテントがありました。


このツアーを案内してくれたのは、姜さんという女性の活動家です。
被爆者、女性、障害者問題に取り組んでいます。

その紹介で、韓国の社会運動団体「参与・連帯」事務局の安さんと交流。
韓国もアメリカと軍事同盟を結び、財閥といわれる財界の支配を受けている点で、日本とも共通性があります。

これから、新しい大統領とどのような関係を築いていくのでしょうか。

さて、私が、初めて、朝鮮半島に関心をもったのは、学生時代。
北海道の大学へ進んだ高校の1年後輩から、カミングアウトされた手紙でした。
「自分のルーツは、朝鮮半島です。大学に入って、民族の誇りに目ざめました」
なぜ、彼女は、在日であることを隠していたのでしょうか。

また、核兵器をなくす運動のかかわり、朝鮮半島では「原爆投下が植民地支配から解放してくれた」と評価する意見が多いと聞いたことは、これも衝撃でした。テストのためでしか学んでこなかった近代史の中で、日本の植民地支配とはどのようなものだったのでしょうか。
今回の旅で、こうした疑問を自分の目で確かめたいと思いました。


1919年3月1日、大韓国独立を宣言して「万歳運動」がよびかけられたパゴダ公園。

1910年、日韓併合条約を結び、外交や軍事など実権を握る日本の朝鮮総督府が、1945年日本の敗戦まで統治しました。

宗教家などからなる民族指導者が、非暴力の抵抗運動をよびかけ、全国に広がりましたが、日本の総督府により鎮圧されました。


妓生や10代の女学生も抵抗運動に加わったことが記されています。
「民族の誇り」を取り戻すその不屈さに目を見張りました。


こうした抵抗運動を弾圧するために建設された「西大門刑務所」。
戦後は、軍事独裁政権に反対し、民主化をもとめた学生なども多くとらえられたそうです。


ソウル日本大使館前の「少女像」です。

広州「ナヌムの家」の歴史館を見学し、ハルモ二と言葉を交わすことができました。
日本語を話される姿が痛々しい。

日本軍「従軍慰安婦」問題を学ぶ歴史館があります。

このお寺が社会福祉法人をつくり、家を運営しているそうです。



さて、最後に訪れたのは、朝鮮王朝が滅び、のちの日本の植民地化につながる「江華島事件」の地です。
1875年、軍艦から砲撃し、武力を背景にして、日本が不平等な通商条約を結ばせ、開国させました。
モンゴル侵略からの先史も含めて、歴史博物館で当時の様子を展示してありました。


2007年、韓国・北朝鮮首脳会議が実現し、雪解けムードの中、江華島北部に平和展望台が建設されました。
河を一つ隔てただけですから、北朝鮮がよく見えました。向こう岸は、稲作地帯だそうです。


姜さんお勧めのお店で、サムゲタンやチゲ、うなぎなどを堪能しました。
どこのお店も食べきれないほどのナムルとキムチが並びました。

2日の夜は、東京都議選の結果が気になり、ホテルのテレビでNHKWORLDの開票速報を見入っていました。
知事人気の都民ファーストの躍進予想の中で、埋没するといわれていましたが、議席を伸ばし本当に良かったです。