「長崎を最後に!」 原水禁世界大会長崎集会に参加しました。

国連で被爆地の悲願である核兵器禁止条約が採択されたという喜びの中で、72年目の原爆の日を迎えました。
私は、広島での慰霊行事を終え、7日から9日まで、原水爆禁止世界大会長崎集会に参加するため6時間バスに揺られ長崎を向かいました。


エレンホワイト議長からメッセージが寄せられました。
また、6日の広島集会では、中満国連上級代表がスピーチしました。

 8月9日11時2分、一発の原子爆弾が7万人の命を奪い、多くの市民が地獄をさまよいました。

 いつも、世界大会には、「ヒバクシャはナガサキを最後に!」これを合い言葉につらい体験を語り続けた被爆者のみなさんの姿がありました。
今年、谷口すみてるさんは病院のベッドの上から世界大会参加者にメッセージを寄せられました。下平さくえさんは、病身の体をおして車椅子から訴えました。ともに、禁止条約の採択を喜び、核兵器のない世界の実現を呼びかけられたのです。会場で、下平さんと握手をさせてもらいましたが、一回りも二回りも小さくなられた姿に涙が止まりませんでした。
なんとしても、生きておられるうちに廃絶への道筋をつけなくてはなりません。

 
 9日の長崎市平和式典で田上市長は、「核兵器禁止条約は、ヒロシマナガサキ条約だ」と述べましたが、本当にそのとおりです。被爆者と被爆地の市民の願いが世界を動かし、実を結んだのです。


 そうした中で、式典に参加した安倍首相に面会した被爆者が、広島では、「満腔の怒りをもって」、長崎では、「どこの国の首相ですか!」と抗議しました。被爆国の首相なのに、この条約に署名も批准もしないと明言したのですから当然です。式典でも参列者からの拍手がパラパラと少なかったように感じました。


 

今回の訪問で、長崎市役所に禁止条約を歓迎する横断幕が掲げてあることを知りました。すばらしいですね。同じ被爆地として広島市でも禁止条約を力に世論を高めていく具体的な取り組みをもとめていきたいと思います。