視覚障害者の要求実現めざして〜広視協40年つどい


寒さも少しゆるんだのか、カモに見入って、川べりに立っていても寒さを感じませんでした。

つどいでジュニアマリンバのみなさんが、演奏を披露。
広視協との出会いは、学生時代。
そこで障害者問題にかかわったことが、私の人生を決めたといっても過言ではありません。

全視協の元会長でもあった藤野高明さんの講演がありました。
戦争が終わった翌年、7歳の時、不発弾の爆発で、弟と自らは両腕と視力を失いました。
二重障害を負い、手がないことで点字もできないし、将来、ハリ・きゅう・マッサージの生業もできないだろうからと盲学校が入学を拒み、大阪市の盲学校に入学したのは、20歳の時でした。
当時は、重い障害者は、「就学免除」という制度で、学びの機会を奪われて、藤野さんも「13年間の空白」を余儀なくされていました。
戦前は、戦争の役に立たないから、戦後は、はたらき手として役に立たないから差別されてきたと告発されました。
その後、苦学をして社会科の教員となり、母校の教壇にたたれました。
「障害者を生み出し、差別する戦争」「安全神話を振りまいてきた危険な原発」残りの人生をこの二つの課題とたたかうために頑張ると決意を述べられました。
不条理な仕打ちを受けながら、仲間とともに不屈にたたかった話を、大阪弁で軽妙に語られ、感動的な時間をすごしました。